合掌造り集落

木材を梁(はり)の上に山形に組み合わせて建築された、茅葺きの三角屋根が特徴的な日本独自の建築様式のこと。

合掌造り集落について

白川郷 荻町

白川郷の荻町は、日本の岐阜県に位置する歴史的な合掌造り集落です。
合掌造りとは、伝統的な日本の農家建築スタイルで、特徴的な屋根の形状を持っています。
このスタイルは、雪の多い地域での住宅建築に適しており、荻町もその条件に合致しています。

以下は、白川郷荻町に関する主要な特徴や情報です:

  1. 合掌造りの家屋: 荻町の家屋は、その屋根が特徴的な合掌造りです。これは、三角形の屋根の中央部に柱が立ち、その柱を支えるように斜めに屋根の梁が配置されています。この構造は、雪の積もる冬季に屋根の重みを分散し、崩壊を防ぐためのもので、美しいデザインでもあります。

  2. 世界遺産: 白川郷は、その美しい合掌造り集落と自然環境が評価され、ユネスコの世界遺産に登録されています。この地域は、伝統的な日本の農村生活の文化や景観を保存し、後世に伝える重要な場所として認識されています。

  3. 自然環境: 荻町は、四季折々の美しい自然景観でも知られています。特に秋の紅葉が美しく、多くの観光客がこの季節に訪れます。白川郷周辺には山々と川が広がり、豊かな自然環境が魅力です。

  4. 伝統的な生活: 白川郷の住民は、伝統的な日本の農村生活を維持し続けています。農業や伝統的な工芸品の制作など、伝統文化が今も受け継がれています。観光客は、この地域で伝統的な日本の暮らしを体験できます。

  5. 観光名所: 荻町には、合掌造りの家々を見学できる施設や展示館があります。また、地元の料理や工芸品を楽しむこともできます。観光客は、白川郷の美しい風景や伝統文化を楽しむために訪れます。

白川郷荻町は、日本の伝統的な文化と美しい自然景観が調和した特別な場所であり、観光客にとっても魅力的なスポットです。

白川郷 荻町 合掌造り集落

合掌造り家屋が多い場所は、岐阜県から富山湾にそそぐ庄川という河川に沿って作られた集落に多く見られます。
他の地域には、ほとんど見られない家屋です。
合掌造り集落である白川郷と五箇山は、世界遺産にも登録されています。
その合掌造り集落なかでも、観光客が多く、眺めの良い荻町から見てみよう。

位置

〒501-5627 岐阜県大野郡白川村荻町

五箇山マップ

荻合掌造り集落 全景の撮影ポイント

岐阜県大野郡白川村荻町にある合掌造り集落の絶好の撮影ポイントは、北側にの高台にある「荻町城址展望台」である。
集落全体を撮影するならば、東西に山があって早朝と夕方は太陽の日が届かない部分が多いので、昼近い時間帯が良いと思います。
ただし、日差しの強い時は撮影方向が太陽光に対して逆光になるので、建物のディテールにこだわるのであれば曇りの方が建物の様子がはっきりするかもしれません。

※クルマやバイクで訪れたのであれば、展望台の駐車場に停めるのが良いと思います。
集落を散策する時は村営駐車場に移動するのがベターです。

白川郷荻町地図
白川郷 荻町 地図

切妻は何故南北方向になっているのか

合掌造りは、家の屋根の形状は切妻屋根となっています。

合掌造りは、庄川が南北に流れており、東西は山になっています。
当然、風向きは南北に吹くことが多い。
また、合掌造りの屋根は茅葺きで太陽光で乾燥させた方が良い。
よって、合掌造りの屋根は南北に向けて風通しを良くし、屋根の面を東西、つまり太陽が当たる向きにすることで、素早く雪が溶けて、茅葺き屋根が乾燥しやすいように考えられています。
したがって、荻町城址展望台がある北側から撮影すると、合掌造りの屋根が三角おむすびが並んだような写真が撮れることになります。

白川郷 荻町城址展望台
荻町城跡 展望台から見た白川郷の合掌造りの風景。
岐阜県大野郡白川村荻町
7W75+62 白川村、岐阜県
合掌造り集落を考察の記事

荻町合掌造り集落を散策

荻町合掌造り集落へクルマでアクセスする観光は、集落と庄川を挟んだ国道156号沿いの村営の有料駐車場に停めるのが良いでしょう。
集落へのアクセスは、庄川にかかる「であい橋」を渡ります。

このおかげで、荻町の集落内にほとんど車が通らず、徒歩で観光を安全に行うことができます。
食事や珍しいお土産を探してみるのも楽しいと思います。

江戸後期のような日本の風景が楽しめるのではないかと思います。

白川郷案内版 荻町
白川郷案内版 荻町
この地図の北は右側で、上が東側になるので注意!

荻町で最も大きな和田家

荻町城址 展望台からみると手前に位置する和田家の合掌造りの家屋について調べてみました。
和田家の場所は、荻町の中心から少し北側に離れたところに位置します。

白川郷荻町
白川郷荻町
和田家と合掌造りについて
和田家 白川郷 荻町

和田家の合掌造りは、江戸中期から後期の建築物、約400年前に建造された家だそうです。(木造家屋なので当然、手直しがされているが)

合掌造りは、手を合わせて合掌する形は、雪がたくさん降る関係で、屋根に積もる雪を効果的に落とす効果と。屋根裏を有効活用するために考えられたとされています。

たぶん、屋根雪対策で屋根の傾斜を大きくしたら、屋根裏にスペースができたのが本当だろうと思いますが、屋根のメンテナンスを考えると、これ以上の屋根の傾斜は難しいだろうと予想されます。

和田家 白川郷 荻町
養蚕業

和田家は3階構造とし、屋根裏では養蚕(ようさん)をしていました。
養蚕とは、蚕の作る繭の糸を生成して絹、すなはちシルクの原料を作る産業です。
江戸時代後期から明治時代は、日本では養蚕が盛んに行われていたと言われます。

和田家3階構造の屋根裏部屋
和田家3階構造の屋根裏部屋
中央のすのこ状モノは一階の囲炉裏の熱を3階に行き渡らせる工夫
囲炉裏の重要性

一階には冬に暖をとったり調理をするための囲炉裏があって、囲炉裏から出る煙によって建物を丈夫にする効果があるそうです。
その効果とは、家全体を内側から煙で燻すことで木材や茅でできた家の防虫、防腐といった効果があるそうです。
屋内から家全体を燻製しているとでも言えば良いか。

一階の暖炉 和田家 白川郷 荻町
一階の囲炉裏の天井にはすのこ状の空気の抜ける空間がある。

その暖炉の温かい空気をや煤を家全体に行き渡るように、床の一部を通気性がある構造にされていました。
建物内の古い建材は、壁、天井、柱、屋根まで良い感じに黒く煤けていました。
屋根を葺き替えて間もないせいか、屋根裏の茅や縄は、ほとんど煤けていませんでしたが。

一階の暖炉のすぐ上の天井の様子 和田家 白川郷 荻町
一階の囲炉裏のすぐ上の天井の様子 和田家 白川郷 荻町
合掌造りの屋根裏

屋根の勾配は約60度と急です。
断面は正三角形に近く、雪が滑り落ちやすい形です。
合掌の組み立てには釘は一切打たず、稲縄とネソと呼ばれるマンサクの木を使いました。
山形に組み合わされた屋根の下地となる「合掌」(叉首(さす))の下端は細くとがっていて、桁の上に渡された叉首台「ウスバリ」の両端にあけられた窪みに差してあるだけで、地震や雪による屋根の重みにも柔軟に対応する仕組みになっています。

合掌造りの屋根を中から見た様子
合掌造りの屋根を中から見た様子
木材を縄で固定されている様子。
クギは使用していないそうです。
また、木材は囲炉裏を炊くことで黒く煤けて防腐剤の役割をしている。
白川郷 和田家

茅葺き屋根の弱点

茅葺き屋根の欠点は、葺き替えるのに多大な労力、コストが必要です。

屋根は、茅、地元で取れて長持ち(耐久年数30−50年)する。
茅葺き屋根の葺き替えには多大な労力が必要でした。
そのため「結」という助け合い文化があって、集落民全体で屋根の葺き替えを行ていて、副産物として、この場所で暮らす人たちとの心の結びつきも得られました。

※荻町では、合掌造り家屋を保存するための補助金制度などを使って、景観の保全につとめてきたそうです。

合掌造り茅葺き
合掌造り茅葺き

合掌造り集落の秘密産業

もう一つ、合掌造り集落には、養蚕以外の大きな秘密産業がありました。
焔硝(しょうえん) つまり火薬の原料を生産していたのです。(五箇山では塩硝と呼ばれていた)
焔硝づくりの原料には、大量の蚕(かいこ)の糞尿を4−5年かけて発酵させて作ります。
発酵には、先に記した囲炉裏によって冬でも発酵が進んだとされています。

和田家は、この焔硝の生産によって栄えたとされています。
また、和田家は牛首口留番所(荻町から牛首を経て越中大勘場に通じる間道)の役割を与えられて、白川郷へ人や物を出入りを規制していたとされてる。

合掌造り集落のまとめ

合掌造り家屋は、江戸時代後期という時代に耕作面積の少ない山間で冬には雪が降り積もる土地。
これらの厳しい環境で
人間が暮らしていくために、養蚕と煙硝という産業を集落をあげて、また地元の人たちの創意工夫によって作り上げたのだろうと考えられます。

現在の荻町では、家屋の周りには水田がありますが、江戸時代には稲作はできなかったようで、桑と蚕で養蚕業が唯一の産業だったと考えられます。

山の中の不便な交通と、冬になると2メートルもの雪で外にも出られませんでした。
陸の孤島となり、農作物もほとんど採れないところですが、反対に、秘密を厳守する軍事産業に属する焔硝の生産には、適していたのだろうを思います。

荻町の合掌造り集落が残ったのは、国の水源確保や治水のためにダムがたくさん作られました。
幸か不幸か荻町はダム湖に沈むこともなく、ダム建設にによる補助金もありませんでした。
よって、荻町の人たちが散り散りになることもなく、合掌造りの景観を守り続けたのには、先祖代々の教えや住民のふるさとへの想いがあったのだろうと思います。

合掌造り集落の写真ギャラリー

荻集落 白川郷 岐阜県

荻町城跡展望台

荻町観光

荻町周辺

相倉集落 五箇山 富山県

五箇山の合掌造りの時代背景

合掌造り家屋が完成したのは江戸時代中期からと推測されます。
江戸時代中期の五箇山では養蚕が行われ、塩硝や和紙製造が加賀藩から奨励されていました。
こうした仕事に適したスペースを確保するために、高層の合掌造りに発展したと考えられています。

位置

〒939-1915 富山県南砺市相倉

五箇山マップ

相倉集落の風景

古くは塩硝街道とよばれた富山県道54号

江戸時代、五箇山は金沢藩に属していました。
五箇山と金沢の交通には、現在、富山県道54号が使われておりました。

富山県道54号は、南砺市刀利から小矢部川の源流を遡り、五箇山と呼ばれる庄川筋の南砺市西赤尾町まで、ブナオ峠を越えて連絡している。
古くは塩硝街道とよばれ、五箇山で産出した塩硝を金沢まで運ぶ重要なルートであった。

一度散策に出かけたが、写真のように、ブナオ峠から長瀞峡は、一部を除き、ほとんどの道路が崩れ、現在は通り抜けは不可能でした。

富山県道54号は江戸時代には硝煙街道と呼ばれていた。

キャンプ場

相倉キャンプ場(相倉野営場)

世界遺産の相倉集落には、野営場があります。(世界遺産の中のキャンプ場って、ちょっと魅力があります。)

受付は、相倉駐車場にあり、料金を支払ってから集落を通って野営場に行きます。
もう一度言います。普段は徒歩でしか許されない世界遺産である相倉集落の中ををバイクで走行して野営場に行くことになります。
バイクや車の乗り入れはできないようです。
また、駐車スペースは小さい。

トイレと炊事場しかありませんが、山の中腹のとても静かで誰も来ないところでした。(熊が来る可能性はあるかな、食べ物の匂いをさせないようにしましょう。)

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