福井県と岐阜県の境にある峠
人々の交流をささえた山々を越える道、それが峠.
福井県は浅倉氏、岐阜県側が美濃と呼ばれ、斉藤氏、織田信長が関係している峠と考えています.
福井県と岐阜県の県境には、比較的標高のある山々が横たわっています.
東側から
- 油坂峠 ( あぶらざかとうげ・国道 158 号線 )
- 温見峠 ( ぬくみとうげ・国道 157 号線 )
- 冠山峠 ( かんむりやまとうげ・林道 冠山線 )
- 高倉峠 ( こうくらとうげ・林道 塚線 )
この4つの峠が福井岐阜県境にある、代表的な峠となると思います.
この福井県と岐阜県の峠について、実地調査と独自の偏見で解説/紹介してみたいと思います.
※画像関連はクリックで拡大表示が可能です.
油坂峠 ( 国道 158 号線 ) あぶらざかとうげ 標高800m
名前の由来
1575年(天正3年)の織田信長による越前一向一揆討伐で郡上遠藤氏がこの峠を守備した一揆軍を討った際、流れた血が油のようにぬるぬるして道が滑って歩けなかったことから「油坂」と名づけられた説。
岐阜県側から峠までの標高差が約420mと険しく、峠を上る道で旅人がだらだらと油汗をかいたことから「油坂」と名づけられた説。
岐阜県側の標高差は油坂峠道路の構造(ループ状の高架橋とトンネルを組み合わせることで勾配を出来るだけ緩和している)を見ても実感できる。wikipedia
岐阜県側から峠までの標高差が約420mと険しく、峠を上る道で旅人がだらだらと油汗をかいたことから「油坂」と名づけられたと言われます.
坂の勾配が強いので、新国道 158 号線は、大きなループの道路となっています.
今回は、旧油坂峠料金所手前から旧158号線を通って油坂峠に行ってみました.
温見峠 ( 国道 157 号線 ) ぬくみとうげ 標高1020m
温見峠(ぬくみとうげ)は、福井県大野市と岐阜県本巣市根尾の境にある峠。
国道157号(国道418号と重複)が通る。
最高地点の標高は約1,020m。九頭竜川の支流温見川と揖斐川の支流根尾西谷川との分水嶺である。
歴史
鎌倉時代 : 越前府中(福井県越前市)と鎌倉(神奈川県鎌倉市)とを結ぶ最短ルートとして重宝された。
戦国時代 : 越前朝倉氏が温見峠から美濃の国へ攻め入り、朝倉氏の滅亡後は織田信長が、越前一向一揆で温見峠からも越前に攻め入った。
江戸時代 : 結城秀康が関所を設けて、福井藩への敵の侵入を監視した。
現況
1974年に開通した車道は翌年に国道157号になったが、当地が豪雪地帯(平年で積雪2m)であるために、例年12月初旬から、大野市中島から本巣市根尾能郷までの間は除雪が行われずに通行止になる。
雪が収まる3月下旬頃から除雪が集中的に行われ、5月ごろに通行止が解除される。
通行可能な期間でも、落石の恐れがあり、ガードレールなしの狭路が続き洗い越しもあるため、通行の際は注意が必要である。wikipedia
国道 157 号線の福井県と岐阜県の県境にある峠です.
美濃と越前を結ぶ主要幹線道路だったようです.
温見の名称の由来は、この辺りの集落の名前だそうです.
山と山の間をぬける道路なので、景色はあまり良くありませんが、路面は悪く通行止めになることも多いので、通れる時に走破してみるのも面白いと思います.
冠山峠 ( 国道 417 号線を補完する林道 冠山線 ) かんむりやまとうげ 標高1042m
冠山峠(かんむりやまとうげ)は、林道冠山線の岐阜県と福井県の県境にある峠である。
標高1,050m。冠山の山頂から西北西約1.8kmに位置する。
揖斐川の源流・才ノ谷と九頭竜川水系足羽川の支流・添又谷との分水嶺であり、「揖斐川源流 冠山」の石碑が建っている。
ここからは、冠山及び金草岳への登山道が整備されており、登山客のための駐車スペースが広く設けられている。
峠付近からは冠山や白山などの山並みを望むことができる。wikipedia
林道 冠山峠線は、狭いですが全線、舗装路となっています.
福井県側は、山の急斜面につくられており、よそ見運転は厳禁です.
岐阜県側は、尾根付近を通るところは、比較的見晴らしは良い.
ちなみに、
冠山峠の下を通る予定の国道 417 号線の福井岐阜間は、トンネル工事中でした( 2021 / 11 ).
2023年に完成予定.
トンネルが完成すると、冬でも福井県池田町と岐阜県揖斐町の交通が可能になります. ( 冠山峠線は、半年間の冬季通行止めになりますので注意が必要です. )
高倉峠 ( 林道 塚線 ) こうくらとうげ 標高970m
高倉峠(こうくらとうげ)は林道塚線の福井県と岐阜県の県境にある峠である。標高は956m。
概要
福井県南条郡南越前町と岐阜県揖斐郡揖斐川町との境界であり、両町を車両で往来できる唯一の峠である。
また、福井・岐阜の両県を結ぶ、車両が通行できる峠としては最も西に位置する。
古来は木地師が主に使用した峠であった。
しかし江戸時代に入ると標高の割りには勾配が緩やかなこともあり、越前国と美濃国を結ぶ裏道としても利用されるようになったとの伝承が残る。
両白山地の峠としては冠山峠と並び景観がよく、快晴の日には若狭湾を望むこともできる。
道路状況
車両で通行できる峠である。
山道の区間はアスファルトによって舗装されているほか、標高の割りに急勾配の区間もない。
峠からの展望は大変見晴らしがよく、峠からの景観を目的としたドライバーが多く訪れている。
降雪期から翌年6月頃までは冬季閉鎖される。wikipedia
林道塚線は、福井県南条郡南越前町と岐阜県揖斐郡揖斐川町を結ぶ総延長 22,349 mの林道である. ( 冬季通行止めになります. )
林道 冠山線と一部岐阜県側で共用部分があって、賽の沢で分岐しております.
全線、舗装路ですが、一部破損しているところもあるので、注意が必要です. ( 毎年春の開通する時期には、路肩が落ちて通行止めになることが多いです )
高倉峠は、峠付近から福井方面の見晴らしがとても良いと思います.
また、林道 塚線の岐阜県側には「うそ越え峠」という名称の峠が存在します.
その謎を考えるのも、面白いかもしれません.
蓮如上人(れんにょしょうにん・浄土真宗)は、高倉峠から福井県越前吉崎に入り、吉崎御坊を建立したのであろうと私は予想しました.
人と人が関わって情報や経済活動をするには、道路が大切な役割をはたしてきました.
現在、険しい峠を越える国道は、すでに役割を終えているかもしれません.
峠道があるのは、歴史的な必要があったからだと考えます.
油坂峠や温見峠を越えた織田信長と同じ景色を、自分も見ているのかもしれません.