館の岬の位置
〒043-0104 北海道爾志郡乙部町館浦44−3
館の岬駐車場 に停車して眺めるのが安全でしょう。
館の岬の地層
北海道乙部町にある館の岬の地層は、約300万年前の鮮新世に海底で堆積した地層で、黒っぽい砂岩層と白っぽい凝灰岩層が交互に重なっています。この地層は館層と呼ばれ、地殻変動によって陸上に隆起し、整然とした断層面を露出しています。
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※ 舘の岬(たてのさき)
白亜の断崖
何と呼ばれているか
館の岬は「東洋のグランドキャニオン」「白亜の断崖」とも呼ばれ、高さ50メートルを超える垂直の断崖が特徴です。近くで見るのと遠くから眺めるのでは風情が異なり、光の加減によっても様々な表情を見せます。
景観
館の岬周辺の海蝕崖には、ほぼ水平な互層からなる地層が見事に露出しており、この露頭は北海道地質百選にも選定されています。また、岬のすぐ南側には「悲恋塚」という、天保年間、結ばれずに心中した恋人同士をしのぶために建てた石碑があります。
館の岬ができた過程
海底での堆積
はるか昔、この場所は海の下でした。長い年月をかけて、黒っぽい砂岩層と白っぽい凝灰岩層が交互に積み重なり、厚い地層が形成されました。まるで大きなケーキのように、層が幾重にも重なっている様子を想像してみてください。
地殻変動による隆起
その後、地球の地殻が動く(地殻変動)という大きな力が働き、海底にあった地層がゆっくりと隆起し、陸地になったのです。この隆起は、非常に長い時間をかけて起こったと考えられています。
波や風による侵食
陸地になった地層は、波や風の力によって長い年月をかけて削られ、現在の断崖絶壁の姿になったと考えられています。
海側のトンネルは使われておらず、コンクリートで覆われていました。
現在使われているのは、内陸側に新しくトンネル掘ったもの。
館の岬の悲恋物語
江戸の末期ごろ、館の岬の近くに与作と呼ばれる漁師が住んでいました。与作は親方のもとに奉公する、お岩という美しくて心やさしい女性と知り合い、恋が芽生えました。しかし親方の息子がお岩との結婚を望み、与作につらくあたるようになり、お岩も心を痛めるようになったのです。 とうとう2人はこの世でかなわぬ恋だと、冥土で結ばれることを願って館の岬から身を投げてしまいました。 館の岬に立つ悲恋塚は2人の悲しい恋をしのぶために建てられたのです。
乙部町
地質図では雄島の地質は
地質図では「舘の先」の地質は
堆積岩 形成時代: 新生代 新第三紀 中新世 メッシニアン期〜鮮新世
岩石: 海成層 泥岩地質Navi
堆積岩と火成岩が織りなす地域で、海岸線の景色も岬のあるところは火成岩になっているところが多い。
海岸線は、堆積岩の地層が見られるところが多い。
周辺情報
観光地
鮪の岬(しびのさき)
岬の形がマグロの背に似ていることや、独特の岩肌がマグロのウロコのように見えることから、鮪の岬と呼ばれています。この独特の岩肌は柱状節理と呼ばれ、壁の上部は不整形断面の蜂の巣状であり、下部は長さ8メートルから12メートルの柱状が、ほぼ垂直に海へ達しています。この独特な地層は、中新世に海中から噴出したものです。
滝瀬海岸
くぐり岩
今からおよそ400年前の慶長年間にニシン漁を支えるために掘削したため、こんな形の岩になったのです。当時はこの一帯は陸地であったと考えられており、陸路としてこの穴をあけたそうです。だから名前もくぐり岩なのです。
シラフラ
白い断崖が続き、美しい海岸線を形作っているのが滝瀬海岸です。このあたりは古い言葉で、シラフラ(白い傾斜地)と呼ばれていました。
キャンプ場
北海道江差町が運営する無料キャンプ場です。
かもめ島は、周囲約2.6km、海抜およそ30mの小島で、防波堤によりつながっています。檜山道立自然公園の特別地域に指定されており、景観が美しく、江差のシンボルとして愛されています。
このかもめ島の上にキャンプ場があります。島の上には徒歩で階段を上がることとなりますが、その苦労をするだけの価値のある、すばらしい景観を眺めることができます。
乗り入れできなし、荷物は階段168段を克服しなければならない。
北海道厚沢部(あっさぶちょう)が運営する無料キャンプ場です。
フリーテントサイト
無料で利用することが出来るテントサイトです。
周辺には、駐車場、水洗公衆トイレ、バーベキューハウス(予約制)、炊事棟などがあります。
予約の必要はありませんが、ご利用の際には、森林展示館内にありますレクの森管理事務所に備え付けのフリーテントサイト利用届をご記入願います。